シベリアでの戦後の強制労働 2000.12.20読売・朝日新聞
「終戦を海外で迎えた邦人約660万人のなかで(中略)旧満州などソ連占領地域にいた約272万人(中略)このうち約60万人はソ連領内に連行・抑留され、約7万人が死亡したとされる。(中略)引き揚げに伴い旧満州で死亡した邦人は20万人以上で、原爆による犠牲者にも匹敵する。(中略)厚生省によると、旧ソ連・ロシア(モンゴルを含む)で死亡した抑留者は推定約5万3千人。」読売新聞(平成12年12月20日)
シベリア抑留、強制労働のことはそういう事件があったことくらいしか認識していなかった。これほどまで大規模に行われていたのには驚いた。また、厚生省社会援護局調べの戦後の海外引き揚げ者の地域別分布の資料が朝日新聞(平成12年12月20日)に掲載されていたが、これも相当の数の人がアジア近隣諸国にいたことがわかった。
“勝てば官軍”の言葉があるが、これほどひどいとは思わなかった。2000年までにロシアと平和条約樹立との前ロシア大統領エリツィンと橋本首相とのクラスノヤルスクの合意があったが、北方領土問題だけではなく、この抑留問題についても白黒はっきりつけるべきではなかろうか。今回、外交資料の公開によって抑留のあらましが明らかにされたが、日ロ間に横たわるもう一つの大きな問題を痛感した。