ついにバーミヤンの遺跡が… 2001.3.20朝日新聞など         



 ついにバーミヤンの石仏がタリバーンによって破壊された。CNNの映像がとても衝撃的であったが、各国の批判をよそに破壊命令が実行に移された。前にも書いたが、結局この蛮行は宗教上というより政治上の目的により破壊されたという感が強い。破壊された以上、もう元には戻らないし、さらにタリバーンに対する世間の風当たりは強くなるであろう。
 しかし、1か月前まではその存在すら知らなかったタリバーンがこの事件によって、その存在感を表すことができたのは紛れもない事実である。この1か月のうちにタリバーンに関する特集記事なども多く掲載された。これらによって知られざるその様子が次第にわかってきた。
 アフガニスタンといえばアレクサンドロスの時代から東西文化の十字路であり、19世紀にはロシアとイギリスが、そしてまた最近ではソ連とアメリカがこの地で覇権を争ってきた。周辺諸国からの侵略という危険に絶えず警戒しなければならなかったことが独自の閉鎖社会を形成したのではないかという指摘もなされている。こう考えると、単にこの蛮行を表面的にとらえるのではなく、その奥に隠された歴史的背景も熟考していかなければ真にこの事件を理解することはできない。