張学良死す 2001.10.16産経新聞他
20世紀の中国史においてそのキーパースンとなった張学良が、100歳という長寿を全うして移住先のハワイで14日死去した。
何といっても張学良といえば、「西安事件」である。1936年12月、中国・陜西省北部の中国共産党根拠地に対する攻撃を督励するために西安を訪れた蒋介石が、現地で作戦を指揮していた張学良らに監禁された事件である。張学良らは内戦の即時停止や国民政府の改組など、抗日民族統一戦線の樹立を要求した。そして、この要求を蒋介石が受け入れることで2週間にわたる事件は収束した。翌37年第2次国共合作が成立、抗日民族統一戦線が形成され、同年7月日中戦争が勃発した。
もし「西安事件」が起こっていなければ、その後の中国の歴史がどうなっていたか、想像もつかない。彼が歴史上に登場するのはこのときだけであるが、20世紀を語る時、決して彼の名が出るであろう。たった半月のことではあるが、この事件の、張学良の果たした役割は限りなく大きい。未だに「西安事件」には謎が残されているが、父親が日本軍に殺された恨みから抗日に徹し、愛国心に燃えていたことは間違いない。
事件後、国民政府より軟禁状態におかれ、戦後台湾へ移された。90年に公式に名誉を回復され、91年家族とともに渡米した。90年代、中国より中国東北部への帰郷工作が再三にわたりあったが、これを拒否、異境の地で晩年を過ごした。父を殺された恨みから抗日に徹した彼だが、これは国民政府に対して筋を貫き通したのかもしれない。